科学館概要Space Museum Overview
青森県立三沢航空科学館について
航空科学館の概要
目的
本県にかかわりのある航空機及び航空の歴史を紹介し、並びに科学に関する知識を普及することによって青少年が科学に対する理解と関心を深めるようにするため、三沢市に青森県立三沢航空科学館を設置する。
「青森県立三沢航空科学館条例」(設置)第1条
青森県立三沢航空科学館は、青森県が航空史に果たしてきた役割を広く全国に情報発信し、「大空」と「飛翔」をテーマに、未来を担う子どもたちが楽しみながら、科学する心、感動する心、挑戦する心を育む施設として青森県により建設されました。場所は、航空のまちとして発展し、大空のまちづくりを進めている三沢市が整備する「三沢大空ひろば」の一角であり、平成15年8月8日に開館しました。
基本理念
未来に向けて科学技術の進歩がますます重要視されている現代にあっても、自然現象を探求し、原理・原則を見出していく科学が、その礎になっています。そして科学技術は、快適で豊かな生活を実現するために、また、未知の世界に到達するために、得られた科学の成果を応用、展開し、発展してきたものです。
青森県は、人類が自然に挑んで成し得た科学技術の結晶のひとつである航空機に関して、その草創期から深くかかわりをもっており、県が輩出してきた航空人や様々な航空史実など恵まれた背景があります。航空機という魅力的な形をとって具象化した人類の夢を通して、青森県が世界の航空史に果たした役割を広く情報発信することは、科学及び科学技術の歴史と未来への展望を伝えるとともに、青森県がまた新しい輝きを放つことにつながるものです。
国際時代の深化、そして地方分権の推進などを踏まえ、本県の未来像を志向したとき、21世紀を担う青少年には、個性豊かに創造力あふれ、未来へ向かって夢を抱くこと、また、地域の文化や伝統を受け継ぎ、誇りと自信をもってふるさとを語ることがより強く求められ、これが地域発展の原動力となっていくものと考えられます。
青森県は、この糸口として、21世紀に一層役割が期待される科学及び科学技術に目を向け、身の回りを観察し、自ら考え、行動する姿勢を培うために、県政の重要施策として、青少年の「科学する心」の育成を掲げ、様々な分野で全庁的な取り組みを進めてきています。
新時代を担う青少年にとって、物事の本質に関心を持ち、新たな発見をして感動したり、小さな疑問が涌き上がったりすることを出発点とし、体験や実験を経ながら科学的なものの見方や考え方を学び、科学的な素養を培うことは今後ますます必要となります。また、試行錯誤を繰り返しながら、挑戦しつづけ、夢をかたちにしていくこと~科学を科学技術に結びつけていくこと~も重要な視点と言えます。
青森県は、平成9年2月に策定した新青森県長期総合プランの中で、未来力溢れる社会~未来を担う人づくりを重要な柱として位置づけており、また、平成10年12月に策定した青森県科学技術振興指針においても、知恵の輪、技の輪、人の輪づくりをテーマとして、創意・工夫を結集する環境を整えることとしており、今後とも継続して未来を担う青少年を心豊かに育む環境づくりを推進していくものである。
青森県立三沢航空科学館は、これらを具体的に実現する拠点施設として設置されました。
設立背景と経緯
青森県が世界の航空史に果たした役割
ミス・ビードル号による世界初の太平洋無着陸横断飛行
1931年、ミス・ビードル号は三沢市淋代海岸から、米国ワシントン州ウェナッチ市まで世界初の太平洋無着陸横断飛行に成功しました。
この世界記録への旅立ちを地域の人々が支えたのです。
県にゆかりの深い3名が携わり航空機航続距離世界記録を樹立
1938年、日本唯一の世界記録(周回航続距離記録)を樹立した航研機。この偉業を成し遂げた機体に、青森県にゆかりのある木村秀政氏が設計者の一人として、工藤富治氏が工場長として、そして、藤田雄蔵氏がパイロットとして関わりました。
戦後初の国産輸送機YS-11設計者・木村秀政博士ゆかりの地
戦後初の国産輸送機YS-11に、青森県にゆかりのある木村秀政博士が技術委員長として携わりました。
日本初の民間飛行士・白戸榮之助の出身地
大正時代の初期、青森県出身の日本初の民間プロ飛行士・白戸榮之助氏が、白戸式旭号で青森をはじめ東北・北海道の各地で巡業飛行を続け、成功を収めました。
青少年の「科学する心」の育成
青森県では、未来を担う青少年が、自由な発想を大切に、科学的なものの見方や考え方を学び、科学的な素養を培うことの重要性に鑑み、青少年の「科学する心」の育成を県政の重要施策として位置づけ、全庁を挙げて様々な取り組みを進めています。
新青森県長期総合プランの推進
青森県では新青森県長期総合プランにおいて、基本計画の柱の中で
- 未来力あふれる社会~未来を担う人づくり~
- 彩りある美しい社会~魅力あふれる都市空間づくり~
を掲げ、この基本方針に基づき、21世紀における取り組みを推進しています。
文化観光立県の推進
青森県では、文化観光立県宣言のもと、21世紀の新しい青森県の姿として、知的充足感、心の豊さ、感動を与える文化性を重視した観光を展開しています
設立経緯
昭和63年5月 | 三沢市が「昭和64年度重点事業要望書」で「航空博物館(太平洋無着陸横断飛行記念館)の建設について」を青森県に要望 |
---|---|
平成元年5月 | 三沢市が「平成2年度重点事業要望書」で「航空公園及び航空博物館(太平洋無着陸横断飛行記念館)の建設について」を青森県に要望 |
平成2年5月 | 三沢市が「平成3年度重点事業要望書」で「三沢市航空公園建設事業」を青森県に要望 |
平成3年6月 | 三沢市が「平成4年度重点事業要望書」で「(仮称)三沢市航空公園建設事業」を青森県に要望 |
平成4年6月 | 三沢市が「平成5年度重点事業要望書」で「(仮称)三沢市航空公園建設事業」を青森県に要望 |
平成5年6月 | 三沢市が「平成6年度重点事業要望書」で「(仮称)三沢市航空公園建設事業」を青森県に要望 |
平成6年6月 | 三沢市が「平成7年度重点事業要望書」で「(仮称)三沢市航空公園整備事業」を青森県に要望 |
平成7年7月 | 三沢市が「平成8年度重点事業要望書」で「県立航空博物館の建設について」と「三沢市大空ひろば整備事業」を青森県に要望 |
平成8年6月 | 三沢市が「平成9年度重点事業要望書」で「県立航空記念館の建設及び大空ひろばの整備について」を青森県に要望 |
平成9年6月 | 三沢市が「平成10年度重点事業要望書」で「県立航空記念館(子ども科学学習センター併設)の建設及び大空ひろばの整備について」を青森県に要望 |
10月 | 県立施設として整備することを決定 |
平成11年3月 | 基本構想策定 |
平成12年3月 | 基本計画策定 |
4月 | 航空科学館プロジェクト推進担当を設置 |
平成13年3月 | 実施設計終了 |
10月 | 航空科学館プレイベント「2001年航空科学フェア」開催 |
10月 | 青森県立三沢航空科学館(仮称)建築工事及び各種展示施工・整備業務 契約 |
平成13年12月 | 青森県立三沢航空科学館(仮称)新築工事安全祈願祭 |
平成14年1月 | 青森県立三沢航空科学館(仮称)公式サイト開設 |
1月 | 航空科学館情報誌「航空科学館News」創刊 |
4月 | 航空科学館情報誌「航空科学館News第2号」発行 |
7月 | 「航空科学館ボランティア」募集開始 |
7月 | 航空科学館プレイベント「2002年航空科学フェア」開催 |
7月 | 青森県立三沢航空科学館(仮称)特別展示室・科学実験工房・工作工房整備業務 及び 一般映像制作業務 契約 |
11月 | 国産旅客機「YS-11」、三沢空港に着陸 |
12月 | 国産旅客機「YS-11]、航空科学館へ搬入 |
平成15年3月 | 航空科学館情報誌「航空科学館News第3号」発行 |
3月 | 開館時間、休館日、入館料等決定 |
3月 | 青森県立三沢航空科学館(仮称)建築工事竣工 |
4月 | ミス・ビードル号、奈良原式2号機、白戸式旭号、航研機(復元機) 搬入及び組み立て |
5月 | 展示工事終了 |
6月 | 財団法人青い森みらい創造財団に運営を委託 |
7月26・27日 | 航空科学館無料開放 |
8月8日 | 青森県立三沢航空科学館 開館 |