|
航研機は、東京帝国大学航空研究所が、周回飛行距離の世界記録をめざして開発した飛行機です。岩本周平教授のもと、五戸町出身の木村秀政らが、1931年(昭和6年)に計画を始め、文部省の補助金を得て1937年(昭和12年)に完成させました。1938年(昭和13年)5月13日午前4時55分、弘前市出身の藤田雄蔵少佐の操縦で、千葉県木更津飛行場を離陸。千葉県銚子、群馬県太田、神奈川県平塚を結ぶ一周401.759kmのコースを29周して、周回航続距離世界記録11,651.011kmと、10,000kmコース速度世界記録186,197km/時の国際記録を樹立し、15日午後7時18分、滞空時間62時間22分49秒で木更津飛行場に帰着しました。
日本人が航空の分野で世界記録を樹立したのは初めてのことでした。
航空機の製作は、東京瓦斯電気工業株式会社(のちの日野自動車)の大森工場で行われました。東京瓦斯電気は、木製軽飛行機の製作経験しかない工員数25名程度の会社でしたが、大湊出身の工藤富治が、フランス・ドヴォワチーヌでの航空機製作の実績をかわれ、航空機機体工場長として就任し、1937年(昭和12年)3月30日に完成させました。機体に収納する完全引込み式主脚は、長距離実験機としては、世界初でした。
航空科学館内には、航研機の復元機を展示しています。
全幅27.93m・全長15.06m・全高3.6m・主翼面積87.3平方メートル
機体重量4,225kg・離陸最大重量9,216kg
胴体:全金属セミ・モノコック構造
主翼:金属製骨組み羽布張り塗装仕上げ、付け根部金属外皮
エンジン:川崎12気筒V型液冷800馬力×1
最大速度245km/時・巡航速度196km/時
最大上昇率120m/分・実用上昇限度3,410m
航続距離12,500km・離陸滑走距離1,200m
乗員3名
初飛行:1937年(昭和12年)5月25日
|